「選択と分散」の戦略オプション
要旨
ここ数年、企業経営における前提条件が大きく塗り替えられる出来事が相次いでいます。
ロシア・ウクライナおよび中東ガザ紛争、トランプ関税等の地政学的リスクの高まりや、EUによる厳しい環境規制導入、そして、安全保障発言起因の日中関係悪化です。サプライチェーンやマーケットが「国家単位で分断」されやすい時代となり、今やグローバルで安定的に継続できる事業や顧客基盤は極めて限定的になりつつあります。
経済のブロック化に伴う新たな壁は、もはや輸出入関連企業だけのリスクではありません。特定事業/商品・特定顧客/地域に依存した経営には致命的なダメージが突如襲いかかるリスクが高まっています。
今後は、どの「事業/商品」で、どの「顧客/地域」から”分散して収益を得る”のか、という戦略オプションが、”企業価値の維持/向上のカギ”となることが予想されます。
1.「選択と集中」のリスク
かつては「選択と集中」の旗印の下、経営資源をコア事業やメイン顧客に積極的投入することが、合理的な経営管理として賞賛されてきました。リソースの分散は「非効率」と見られ、尖った競争力の領域を選び抜き、規模やシナジー効果を高めるプロ経営者像が持てはやされていた時代です。
しかし、VUCAの時代において、「選択と集中」戦略は、もはや、“最大の脆弱さ”となってしまうリスクが有ります。自動車業界の事例を挙げます。
① EVシフト戦略の罠
環境規制強化を見据え、欧米の自動車メーカー中心にEV事業への急速なシフトを図りました。
フォルクスワーゲンは2023年3月に以後5年間で1200億ユーロ以上を電動化とデジタル化に投資すると発表。フォードは、2022年7月に、2026年までにEV販売200万台を目指すことと、500億ドル以上をEV事業に投資すると発表。ルノーとアライアンス関係にあった日産も「ニッサン・インテリジェント・モビリティ」戦略の下、早期からEVに集中投資してきました。
しかし、近年のEV需要の鈍化と価格競争激化により、これら企業は深刻な経営課題に直面しています。
フォルクスワーゲンは、EVの過剰生産能力と収益悪化で、大規模なリストラを余儀なくされ、2025年第3四半期には13億ユーロの営業赤字となりました。フォードも2023年に47億ドルのEV関連損失を計上に追い込まれました。日産も2024年度決算では1999年度に迫る最終赤字となり、目下、経営危機に瀕しています。
EV一辺倒の戦略は、充電インフラの整備遅れ、バッテリーのコスト低減や航続距離延長の遅延等による消費者のEV需要頭打ち、ハイブリッド車人気で挫折しました。これはまさに「一つの技術に集中することのリスク」を示しています。
② 特定市場依存の脆弱性
売上の多くを北米市場に依存しているホンダ、日産、スバル、マツダは、トランプ関税により大幅な業績悪化に直面しています。特にマツダは生産の現地化が出遅れており営業赤字に転落してしまいました。
たとえ同盟国であろうとも、VUCAの時代は前例の無い、非連続な変化が起き、市場喪失が一気に起こることも有り、会社の存続危機につながります。特定地域/市場への依存、および集中戦略は企業を脆弱にするのです。
2.「選択と分散」戦略の成功事例
そこで提案したいのが「選択と分散」という戦略オプションです。これは展開地域、事業モデル/スキームを多様化し、ポートフォリオを高度化させるアプローチです。無駄/非効率な広がりを避けるために、”選択的に分散”し、リスクを低減、複数のオプションを確保し、柔軟性を高めることで、持続的な成長を実現するものです。
地政学リスクが存在する中、少数地域、例えば、北米マーケットや、中国工場を起点とするサプライチェーンに大きく依存している企業は、トランプ関税や、EU規制、日中関係悪化により、業績に相当のリスクを抱えます。
需要・供給拠点をアジア、欧米、南米等に分散させ、リスクをヘッジする必要があります。また、事業モデルも、BtoB専業、BtoC専業ではなく、両方を展開することにより、外部環境変化により、やむを得ず、ある事業が崩れても、他事業でのリカバリが可能となり、業績の安定化、企業価値の維持/向上につながります。
ただ一方で、これは”コングロマリット・ディスカウント(経営資源が分散し、全体として資本効率が悪くなる状況)”を許容するものではありません。”コングロマリット・プレミアム(経営資源を効率的に活用し、事業間シナジーが創出される状況)”が前提です。それがゆえに「“選択”と分散」としているのです。
事例1:味の素
長年培ってきたアミノ酸バイオ技術(アミノサイエンス)によって、ヘルスケア、 フード&ウェルネス、ICT、グリーンの4つの成長領域のBtoC、およびBtoB事業において、2050年の目指す姿を描き、新たなイノベーションによる持続的かつ飛躍的な成長を実現するために、事業ポートフォリオを見直し、全社で事業モデル変革を推進しており、世界130以上の国・地域で事業を展開し、海外売上比率が60%を超え、現地に密着・適応した製品多角化展開で、顧客・用途・地域をバランスよく分散させています。
事例2:富士フイルム
従前のコア商品であった写真フィルムで培った技術(コラーゲン研究、精密化学技術)を活用し、B2C事業(化粧品)やB2B事業(医療)、B2G事業(DX)に事業展開。さらに、後発参入の化粧品では「サイエンスに裏付けられた機能性化粧品」であるというブランドイメージ創出や、医療機器・ビジネスイノベーション分野では、自社製品にこだわらず、他社との協業により成長を遂げ、顧客と市場を分散させることに成功しました。
3.経営者が実践すべき「選択と分散」戦略のための“見えない競争力”の強化
「選択と分散」戦略を効果的に進めるために、経営者が強化すべき“見えない競争力”は、知的資本・人的資本・社会関係資本の三領域に集約されます。それぞれの非財務資本のポイントと施策例を挙げます。
1. 知的資本の強化:技術転用力とナレッジ結合力
- 技術転用力
自社のコア技術や知的資産を既存領域に閉じず、新規・隣接分野へダイナミックに展開する力。 - ナレッジ結合力
組織内外の分断された知識・経験を統合し、新しいソリューションや価値を創出する力。
【施策例】
- 事業/商品、市場/顧客への業績依存度を可視化&リスク棚卸し
- 依存が分散するよう事業/商品、市場/顧客のありたいポートフォリオ設定
- エフェクチュエーションをベースにした技術用途アイディエーションと社長直轄開発プロジェクト推進
2. 人的資本の強化:認知多様性と領域横断学習力
- 認知多様性
属性の多様性に加え、専門性・経験・価値観の幅を組織に取り込むことで、複雑な市場環境へ柔軟に対応できる力 - 領域横断学習力
ある領域で得た成功・失敗・知識を、別領域に高速で適用し直せる力
【施策例】
- 異業種人材、海外人材等、多様なバックグラウンドを持つ人材の採用・配置・育成
- 20%ルール(=勤務時間の20%は自分の担当業務や普段と異なる業務に充てて良いとするもの)導入や、そこから創出された領域横断プロジェクトの推進による学習と経験の循環創出
- 外部人材を各所に配置し、認知多様性や領域横断学習力の強化をテコ入れ
3. 社会関係資本の強化:良質なパートナーとの協業力
- 良質なパートナーとの協業力
国内外の企業、スタートアップ、大学、研究機関、行政等との強固なネットワーク構築&価値共創に取り組む力
【施策例】
- オープイノベーション推進の基盤(意思決定の高速化、契約・制度面の整備)を構築パートナーとの協業モデルを標準化し、迅速な意思決定と検証を実行
- 市場拡大/新規開拓の地域・国を列挙し、担当(兼務も可)を配置して逐次の情報収集や商談を推進
4. 「選択と分散」を運用するための経営ルールの確立
知的・人的・社会関係資本を土台にしたうえで、ポートフォリオマネジメントの運用ルールを明確にすることで実効性を持確保します。
【施策例】
- 分散度、リスクレベル、新商品/新規事業の評価基準や撤退基準を含むアジャイルなポートフォリオ運用ルール策定
- 全売上高に占める新商品比率の設定と実践
- 撤退・再配分をタブー視せず、戦略的な“分散ポートフォリオ経営”の実行
おわりに
VUCA時代において、「選択と分散」は1つのオプションではなく、企業存続のための必須条件となりつつあります。地政学リスク、厳しい規制の制定、他国との関係急変等の「予測不可能な外部環境」に対して、単一事業や特定顧客への集中は、もはやハイリスクな経営と言わざるを得ません。
しかし、「選択と分散」の実践は容易ではありません。複数の事業や顧客セグメントを高い水準で運営するには、経営資源の確保、組織能力の向上、そして何より経営者の強い意志が必要です。
短期的には「選択と集中」の方が効率的に見えるかもしれませんが、中長期的な企業価値の持続的向上を実現するには、今こそ「選択と分散」という戦略オプションに舵を切る時です。
成功のカギは、長期的視点に立った経営と、現場の不断の改善にあります。これらを両輪に、戦略的な事業ポートフォリオ分散と顧客セグメント多様化を進めることで、不確実性の時代を生き抜くレジリエントな企業体質を構築できるはずです。
「全ての卵を一つのカゴに盛るな」という投資の格言を、企業経営においても適用せざるを得ない時代です。ただし、無秩序な分散ではなく、戦略的に「選択された分散」こそが、VUCA時代の経営に求められる戦略と言えます。
当研究所は、第三者、かつ圧倒的な改革経験を基に「選択と分散」戦略と、“見えない競争力”強化に関する知見や支援を提供、貢献してまいります。
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